むかしばなし

ひねくれ昔話①10代~20代前半編

過去のお恥ずかしい話ですが、
いつか記録として残したいと思っていて、ついに書くことを決めました。

 

とことん自信のない10代

にきび面と対人恐怖との戦い

中学が終わるくらいまでは学校では優等生のクソ真面目人間を演じてきていて、
あまりに真面目で堅苦しすぎるその日常や社会そのものにおおいに疑問を感じていましたし、
社会に出てからもそれがずっと続いていくのかと思うとうんざりした気持ちになっていました。

 

私の見た目は顔に関して言えば、地味すぎる顔立ち、髪の毛はくせ毛でチリチリ感が不潔な印象を醸し出しがち。
ソニープラザのウエットジェルを使って頭中のアホ毛にうすく伸ばしてなんとか清潔感を作っていました。

そのうえ決して大げさではなく顔中ひどいニキビで顔を動かすと痛いし、
人前にでると人の目が気の毒そうにブツブツを見ているのが分かるので嫌でした。
(今もプロアクティブの広告で若いユーザーさんが泣きながら過去の屈辱をお話ししていますね。泣けるなんて甘いし贅沢だと思うけれど)

人と話をすることもブスなうえニキビ面のため本当に屈辱的でした。
ニキビを治すためならばできることすべてをやってみたと言えるでしょう。
母親は金銭面食事面全面的に協力してくれました。

ブス顔だけど、ニキビさえなくなって化粧で隠せば、まだ人と対等に向き合えるかも?
という必死の思いで生活すべてを肌に良いことのみ(ケーキは食べていましたね)実行してなかなかストイックに過ごしていました。

6年生くらいからその戦いは始まり、20歳くらいの時は一時期よくなったのですが、
仕事をするようになったらまえよりもしつこいニキビが再びできはじめました。

にきびについては別の機会にお話ししたいと思います。

言っておきますがクラスでは明るいひょうきんキャラでしたし、
ここで表現しているイメージは根暗ですがそういう類ではありませんでした。
因みに女子校でした。
でもそれってブスなうえに暗かったら終わってるよねという考えもあったのかしら?
おそらくナチュラルに明るく面白い人だったかと思います。
中学まではそこまで見た目で損を感じることはありませんでした。

成績は底辺校だったのでずっと学年1位をキープ、
体育も5でした。家庭科だけ苦手でした。(笑)

 

就職活動怖い

美人やイケメンと同じ舞台に上がったら
苦労するにきまってる

就職の時期が来ても自分が会社員として働くということが想像できませんでした。
人間能力的にも、社会性的にも圧倒的に自信がないことを感じていましたし、
就職活動さえもしようとは思えませんでした。

そろいもそろってダサいリクルートスーツを着てダサい書類カバンを持って
背中を丸めて不恰好に歩いている姿(すべての人がそうではありません)を見て、
一種の恐怖感のようなものを感じましたし、この人たちと同じように行動して、
戦って自分が勝てるとは一ミリも思えませんでした。
ですからいわゆる新卒の就職活動はしませんでした。

みんなと同じ行動をしたら負けるにきまってる

みんな一緒であるべきというようなこの社会ってなんだろうって小学生くらいから感じていました。
勉強に関しては嫌だとか何も思いませんでしたが、
校則その他いわゆる世間のルールに違和感を持っていました。

人がよく言う、
「みんなそうしてるし、そういうものなんだからしょうがないじゃん。」
ということに、とことん同意できないのが私という人なのかもしれません。

海外へのあこがれ

ブスがゆえに美人風職業へのあこがれ

そんな醜い風貌の私ですが海外に行くことのできるような仕事にあこがれていました。
流行っていたんですよね、大学の観光学科やらなんちゃらトラベルビジネス専門学校とか。

 

当時は今のように情報を簡単に得ることが難しかったため(インターネットはもちろん携帯電話さえもなし)、海外に行くことや行き来できることが可能な仕事に興味があった私は思いついた仕事は航空会社の客室乗務員くらいでした(笑)

 

短絡的すぎて笑えます。
しかもこれだけ醜い容姿を自覚しているのにあんな女性のお手本のような仕事をしてみたいだなんて。

 

しかし私が中学生高校生のころは、ボーイング747に代表されるジャンボジェット機を日本の航空会社も大量発注しており、人員も急いで一度の募集に何百人単位で採用していた時代でした。

ならば私も潜り込めるかも(甘い)、と思ってしまってもおかしくない時代でした。

ロストジェネレーションと契約制スチュワーデス

数年後にはそんな時代の終わりがやってくるとも知らずに。
というか、私が就職活動をするはずの1993年はバブル崩壊まっただ中でした。
国際線を飛ばしていた国内2社は新卒採用中止し、
1994年に初めて契約社員からの採用を始めた時です。

本当に急激に世の中が冷え切ってしまった時代ですね。

ロスジェネの不運はこのあたりから始まったということになります。
それでもなぜだか分かりませんが海外への憧れが強かったのです。
初めて間近で飛行機を見たのは羽田東急ホテルのプールに連れていってもらったときです。
これらの翼はどこか自分の知らない遠くかなたの地へと飛んでいくのかと思うと何とも言えない気持ちを抱かされたことを思い出します。

しかぁし、チビ・ニキビ面・勉強できない・英語力ない。
いちばんやばいのは対人恐怖症。
対人恐怖症なのに究極の接客業志望ってどういう精神構造なのでしょうか?
この話もまだまだおもしろい部分がたくさんあるので、また別の機会を設けます。

薄い情報や教育にバカ高い授業料

同じ能力なら見た目が重要
学校は残念系から大金を搾取

でもこれだけは言っておきたい。
インターネットが発達していない時代は専門の情報を提供していただき、
エアライン専門の学校で少し面接のノウハウを教えていただくのに、相当の金額が受講料として飛んでいきました。

英会話の学校にしても今では考えられないようなうすっぺらい授業内容で高い授業料を取っている学校も普通にたくさんありました。
もちろん親に借りたり、時には払ってもらったりしました。

もちろん素晴らしい学校もありましたけれど、当時のタイミングはとても悪かったとしか言いようがありません。
優秀な方々でも募集は少ないし、人口の一番多い私たち世代は、
1社の少ない人数の募集に対して志望人数が多すぎたのです。

当時は何を調べるのも本をたくさん買って読むとか詳しい人に教えてもらうとかしなければなりませんでした。

詳しい人に聞くなんて当時の私ができるわけがありません。詳しい人を探すことさえ人づてかお金を払って学校などに行かねばならなかったのですから、今の世の中は本当に素晴らしいなあと心の底から思います。

 

結局みんなについていけない

外見と能力がほしい

世渡り上手な同級生たちをすごいなと思っていましたし、
なぜ自分はこんなにも自信がないのだろうと悩んでいました。

ブスなのに、ブスだから?
美しかったり素敵だったりするものに憧れる。
世間では身の丈に合った人生を生きるのが一番。などと言われているけれど私の身の丈とはいったい?
平凡な幸せとか女の幸せとか、良いお手本が身近にあればそう思えたかもしれないけれど。残念ながら私の場合はそうでもない環境だったと言わざるを得ません。

だからってそんな夢みたいなこと言っちゃってバカみたい。思考が飛躍しすぎだよ。
ブスで体型おかしくて頭も悪い癖にとか思われていたと思います。
(寮生活のお風呂で他の人の明らかに見てはいけないものを見てしまった的な視線は、
またか、、と感じていましたし)

人としてたくさん持っている人にはこのみじめな気持ちは分からないだろうし、
人生1回きりなのだから人にバカにされようと好きなようにやってみようと思っていました。

 

 

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