むかしばなし,  地方のこと

ひねくれ昔話③典型的東京人でした

少し田舎の大学に行ってカルチャーショック

大学は首都圏ではあったものの、当時は結構な田舎で、
中国語専攻で海外での単位が取得できるという魅力だけでその学校を選んだ。
当時はまだ低い偏差値の大学では、海外での取得単位を振り替えるシステムは
あまりなかったと思う。

キラキラしたミーハーっぽい女子大が推薦でたくさんあったけれど、
高校でのブサイクがゆえの苦労の続きはもう嫌だったからだ。

だが、思った以上にその大学はダサかった。

言っておくがとってもとっても良い学校です。

でも大都会のキラキラ女子校から来た私にとっては、
どんくさい田舎者丸出しの人を見て、

「こういう人ってほんとにいるんだ」

と驚いてしまった。

調子に乗っていた都心の女子校生

お坊ちゃま校キラキラ男子を見慣れていたので、カルチャーショックだった。

私は高校生の時から母が買ってきてくれるシャネルのスキンケアを愛用していたのだが、
寮のお風呂でそれを目にした同級生たちの中にはそれだけで私のことをブスのくせに高飛車で気取ったやつだなと感じた人は確実にいる。
そういう空気は昔から絶対に見逃さない。

高校ではクラスの子は普通に高級ブランドの腕時計をしていたし、遊ぶところと言えば、新宿渋谷六本木界隈、
下町のお商売人の子も多かったので上野浅草、池袋なんかもよく行った。
かわいい子たちは年齢をごまかしてディスコに鬼のように通っていた。

今考えると金持ちバカ親の放任教育という家庭もあっただろう。
本物のお嬢様はブランド物を学校に身につけてくるなんてことは決してなかったのだ。

周囲のお嬢様校・難関校からはかなりバカにされていたのだが、
この学校の生徒のいいところは、そんなこと全く気にしない自信を持った人が多かったことだ。

私の生きる道という面持で前向きでたくましい心の持ち主たちの姿をみて、私自身もとても助けられていたと思う。

脱線するが、
私だって踊るの大好きすぎてバレエを習っていたし、
幼稚園児のころから振り付けしていたくらいだから
死ぬほどディスコに行きたかった、
でも逆に老けすぎで保護者みたいな見た目だったのでとても行かれなかった。
ディスコの録音テープを買いまくって聴いてたなあ。
大人になってからクラブ活動はガンガンしましたけどね。脱線終わり。

なにかのおりに学校まで送ってくる校門前で見る車もほとんど高級車や外国車だったけれど、
自分の家も似たようなものだったし、何も感じなかったので、
非難を承知で言わせてもらえば正直ここは人種が違うので合わせていかなければなと思った。

偶然にも入った寮の隣部屋のひとつ上の先輩が、同じ学科で、
地元のそれこそ大金持ちのお嬢さんだったのでかなりの安心できた。

私が通っていた中学・高校は偏差値は低いのだが、政界財界系や士業系の子女も割と多く
サラリーマンでも比較的高給取りの家の子が8割くらい。

私の家などはその中でお世辞にも金持ちとは言えないチンケな成金レベルだったのだ。

それなのに、こんな世界があったとは驚きだった。

 

都落ちとでも言ってくれ

そんな私がいつのまにか地方半住なんて言い出している。

でも私は地方にありがちな
「相互監視社会」「年功序列社会」「既得権益社会」は大嫌いなのである。

私の実家周辺も大昔は農村の村だったので、
人のことをやたらと気にする監視屋が多く、私は心底軽蔑していた。

田舎を選ぶのは、
満員電車に乗る必要がなく、人間関係に消耗することなく、
自分の好きなように生きたいというだけである。

やはり他人に干渉しない点だけは東京は抜群に優秀。
親の実家や親戚の中にはとんでもなく無神経で失礼な人も少なくなくて
子供ながらにこれが田舎の人ってことなのかなと感じていた。

なんだかんだお金に不自由しないのなら東京で広い家に住んで、
もちろん満員電車など乗らずとも済む生活ができることが一番である。

しかし、それが難しいからどこかほかに行ってみるのも面白いのではないか。

という見解なのだ。

(だである調を試みてみました)

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