アラフィフ,  独り言,  自分語り

親友は学校時代にしかできないのか

1人を好むのはダメなの?

 

 

誰とも長い友人関係になったことがない。

 

この人とは親しくなりたいなと思っても、

彼ら彼女らには親友はもちろん、

すでに沢山の素晴らしい友人がいて、怖じけずいてしまう。

 

 

中学生くらいからそんなことを感じてきて、

ずっと付き合う友達ができない星の元に生まれたか、

よっぽど変わり者だから人から避けられるのか、

ちょくちょくひとりぼっちを好むから、そうしている間に離れて行っちゃうのか。

 

今現在までずっとそんなことを考えてきた。

 

 

中学生のころ、気がついたらみんな、

朝駅で待ち合わせをして、一緒に学校に行っているようだった。

 

帰りも先に終わった人が、まだ終わってない人の教室の前で待っていて帰る。

 

 

私はみんなとは全然方向が違ったので、

一緒に帰ると言っても、駅までのせいぜい徒歩10〜15分。

 

女子校だから男子の話題もない。

朝はさっさと学校に行きたかったし、わざわざ一緒に帰る意味がわからなかった。

 

 

その後遊びに行くのならいいけれど、

帰るだけなら、普通に帰ればよくないか?

 

田舎で雪深くて1人では危険とか、

そういう場所ではなく、すごい都会なんだし。

 

 

こういう考え方が異質なのか。

たぶんそういうことなのだろう。

 

 

職場で親しくなった人は、

どんなに親しくなっても親友とまでなる可能性は極めて稀だと思う。

 

大抵はしがらみの少ない、10代の時にすでにそんな存在に出会っているから。

 

職場にしても、ころころ仕事を変えるジョブホッパーだったので、

何年も同じ人と付き合うこともなかったし。

 

 

大人になってからは難しい

 

 

大人になってから、かけがえのない人に出会うことはなかなかないんだと思う。

ゼロではないけれど、しがらみのない、

そういう機会がなくなってくるからだ。

 

それでも気の合う結婚相手に出会った人は、その人と親友になることもあるだろう。

結婚したからって、ずっと素敵な関係とは限らないことくらいは知っている。

 

その機会も逃すと、私のような事態になる。

 

この後そういう機会があるのは、

ずっと年老いてから、

デイサービスや、老人ホームで出会う人ということになってくるのかな。

 

そんな話もお客さまから聞くからだ。

 

親が家でこっそりデートしてるらしい。

人生の終盤になってかけがえのない友を得る人もいるだろう。

 

 

さらっと付き合う程度の知り合いを増やすのは、

簡単だけれど、なんか虚しいのでもうしないことにした。

 

 

中学高校(大学専門学校等)で友人を作らなかったら、

そのあとずっと付き合っていくような友人ができる機会は、

人にもよるけれど、少なくなってしまう。

 

確かに寝食を共にした学生時代の仲間は、

今でもかけがえがない存在だと思う。

 

今さら連絡したいわけけではないが、

携帯電話さえなかったので、実家以外の連絡先は知らないし、

名簿もとっくにどこかに行ってしまった。

 

 

お客さまや周りの様子を聞いても、

だいたい昔からの近所の友人と、中年になっても付き合っているようだし、

中学からの仲間、高校からの親友、

とか長く付き合うような友人はそういう関係の人が多い。

 

 

入れるコミュニティがない

 

 

一方で仕事とはまったく関係のないコミュニティに所属することで、

関係を築くことが大切なんだとわかっていても、

なかなか難しい。

とりあえず、来年はそういうことをしてみようと思う。

 

 

心配なのは、どこかのコミュニティに参加しても、

同年代女性グループ内での、未婚子無しの立場はすごく弱いこと。

 

なんだ、私とは違う世界の人ね。

みたいな視線と気を感じる。

 

だから人と関わりたくないんだよ。

特に同じ年代の既婚子あり女性。

 

 

熟女系のお店も30代ならまだいいんだけど、

周りが40 50にもなってくると、会話に入れない。

 

子供の話が中心になるからだ。

 

子供のために生きているから生きられてるの。

よくそんなんで生きてるよね。

(そこまでは言わないけどそんな感じ)

 

でも子供がいない人は自由でいいじゃない。

みたいな言い方をされる。

 

自由という不安定

 

 

自由っていうのも、なかなか大変だ。

今は知らないけど、

この国の教育は、自由とはかけ離れたところにあったと思う。

 

自由の使い方をあえて教えずに、

将来、国にとって便利な手足になってくれればいい。

 

そういう教育だったと思う。

 

すごく堅苦しいと思いつつ、

それができない人はダメな人間とされてしまうなら仕方がない。

と、途中までは真面目にやってきた。

 

 

誰かのために生きるというならば、

そろそろ親のために生きざるを得ない人たちもたくさんいる。

 

それを一人でやるのも結構大変だし、

子供のように、成長して立派になってくれたら嬉しいな、

(親に迷惑をかけまくった、私のような子供もいるけれど)

という期待のようなものもない。

 

 

やっぱりどこに行っても異質な存在なんだよな。

 

自分のために生きる

 

 

仕方がないので、

今は毎日PCに向かっている

=自分と向き合っている。

 

自分のことを書いてはいけないって言う考えが、巷では一般的なのだけれど、

それはカテゴリーが違うからだ。

 

このブログは、たとえ誰も見なくたって、

私の記録としてずっと残すことができることが重要で、

自分のことを書かないブログは、他でやっていく予定だ。

 

やはり私は、ものすごく自己中心的なんだな。

 

自分が生き残るためには、自分が一番大事で何がいけないのか。

 

 

旅客機で、乗客よりも頑丈なシートベルトをしている乗務員は

自分たちが助からなければ乗客を助けられないからだと言うが、

それと同じことだと思う。

 

自分がしっかり立っていないのに、

人なんて助けられない。

 

人のために生きて充足感を感じるなんてことは、

私の場合まだ先の話だ。

 

 

 

 

 

 

数少ない服を着ている写真がもうなくなりました😰

 

 

 

 

 

 

 

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